9/04/2025

"同じ"ということについての考察 -Reflections on the concept of 'sameness'-

 

同じという事について


“同じ" とは、どういう事かを自分の経験を踏まえて考察していきます。

内容はまだまだかもしれないですが、最後まで読んで頂ければ、幸いです。


“同じ” 、とよく日本人は言いますね。

この同じという時、どういうことに対して言っているのか自分でもよく理解してい

ないんではないでしょうか。

最近良くこの言葉を聞くんですが、どうしても違和感を覚えてしまうんです。

自分の理解では、 “同じ” とはあくまで何かを共通化するための一つの方法にしか

過ぎず、全てを同じにすることが正しいわけではないと考えていました。

ですが、ここ最近の傾向として “同じ” でなければ全てを否定するようなそんな動

きが見えるようで凄く気持ち悪く感じています。

これでは全体主義の、右向け右、ですよね。

自分の理解では、この世界では ”同じ” というものは何一つ存在せず、

全てにおいて違うものだと考えていました。


そこでちょっと極端な話をします。

もし世界や宇宙が皆同一なら、この世界は必要ありません。

そうですよね?

何故かといいますと、もし世界や宇宙が全て同じなら神様はこの世界を必要とはし

ないでしょう。

意味がありませんからね。

なぜ世界はすべて違うのか、それを知る必要があると思うんですが如何でしょう?

一人ひとりが違うからこその世界なのに、それを全て同一にしてしまえばもう誰も

何も必要ないです。

時間が存在している限り、"同じ" ということはないです。

というか、出来ないんです。

それを今、全てを一つにすれば便利に成ると吹き込んで、便利さを強調してそちら

に進めていこうとしているのを見ていると、誰も気付けないのかなと凄く不安にな

ります。

便利さも危険で、その便利さに頼ってしまうと自分で考えることを止めてしまいま

すから、これも同一性を強くしてしまいます。


ある程度の同一性は必要かもしれないんですが、どうも世間ではそうではなく全て

同一でなければ許されないような雰囲気を感じてしまうんです。

これは、完全に全体主義の傾向を強めていくだけではないかと危惧しています。

人は不安定な一面を持っていますから、皆がそうするなら自分もそうしようとして

しまうのは理解できるのですが、もう少し自分自身の判断を認めても良いのではな

いかとも思うんです。

今の社会の現状では、一人ひとりが分断されてしまっているので一人で判断してい

くのがかなり難しくなってきていますし、不安になるのは悪いことではないのです

が、その状態でいることを許さないこの状況を変えていかないとより一層不安定

な、全てを同一化しようとする動きがもっと強くなるように感じています。


例えば、いつも自転車で走っていると住宅街を通り抜ける時にちょくちょくじ〜っ

と見られる時があります。

昔なら色んな方がそれぞれの時間帯で歩いていて、子どもたちを見守ってくれてい

るような感じがあったし、そんなに注目することもなかったんですが、今は皆が勤

め人になり箱の中にいない人は少し犯罪者のように見られることがあります。

特に郊外など、住宅街ではですが。

ほんと、誰もいません。

自分の子供の頃は、自営業の方が多くお店が沢山近くにありましたから、色々な方

が歩いていました。

今の社会はそういう部分を完全に消してしまっているので、皆が同じでないと駄目

なように見えてしまう雰囲気になっています。

とにかく街が殺風景で。

自分の中学生の頃から高校を卒業する頃までには、もう、街はもぬけの殻のような

町並みになっていましたね。

お陰で街が冷たく感じるようになって、それとともに同一化が少しづつ進んできた

ように思います。

子供の頃はもっと自由度が高かったように感じていて、色々な方に見守られていま

したね。

街でスーパーの配達の知り合いのおじさんに思い切って友達の事を聞いたら、 ” こ

の時間ならどこそこにいるんじゃないか ” と、教えてもらいました。

実際その場所に行くと、その友達がいて驚いたことがあります。

それくらい皆さん自由に色々な時間に行動されてました。


また話は変わりますが、街で見かける服装も ” 同じ ” です。

ある程度は仕方ない部分もあるとは思うんですが、街を自転車で走っていても同じ

人にしか見えないくらい皆さん黒を着ていらっしゃるんです。

仕事で着るのが基本黒系ですから仕方ないといえばそうなんですが、もう少し幅が

あっても良さそうなんですが余り見かけないですね。

プライベートで出掛ける時は、お洒落をしていると思うんですが普段は皆同じで

す。

何でも幅広くすれば良い訳ではないんだけれども、もう少し自由度があっても良い

のではないでしょうか。

どうしても同一性を強く感じてしまいます。

そこがまた、日本の良さでもあるんですけどね。

ただ最近の日本の歴史を見ていると、強制と自由を繰り返しているように感じま

す。

今の時代は、完全に強制の時代に入っていますね。

お店で販売している服装も、自分の学生だった頃と比べると同じ服装が増えてます

ね。

自分の学生の頃は変なものもありましたが、もっと自由に色々な服装を選ぶことが

出来ました。

服飾メーカーのコストなどの都合もあるとは思うんですが、自分が知っている頃と

比べると幅が無くなってきているように感じます。

親の介護をしているときも、服装を探すのにスゴく苦労しましたから。

結局見つかりませんでしたが。


“同じ” と云ってもあくまで最低限社会に必要な部分だけ同じであればよいのであっ

て、今のようにすべてを同じ様にする必要はないと考えます。

最低限の同一性を保てるくらいで良いのではないでしょうか。

あとは自分なりの生き方を実現できる、その様な社会構成を今のシステムを利用し

つつ創造していければ、もう少し精神的負担の少ない社会になっていくと思いま

す。


余談


内容は乏しいかもしれないんですが、一度こういうことを振り返ってみるのも悪く

ないと思うんですが、如何でしょうか?

余り楽しい話ではないので、最後まで読むことはないかもしれないけれど、一度こ

ういうことを書いて皆さんがどういうふうに考えているのか知ることができるかと

思い、書いてみることにしましたが余り上手く説明できず、自分の文章力の無さ

にちょっとガッカリしています。

もうこういうことは数回経験しているんですが、未だに成長の影すら見えずちょっ

と呆れているところです。

本当に文章で伝えるのは難しいですね。

改めて痛感してます。


余り纏まっていませんが、今回はこの辺で終わります。

最後まで読んで頂き、有難うございました。

shin🌈

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