9/24/2025

意味・自分探し・自分へのご褒美についての考察 -Reflections on meaning, self-discovery, and rewards for oneself.-

 

意味・自分探し・自分へのご褒美という考え方について


今回は、意味や自分探し、自分へのご褒美について考えてみたいと思います。

この件については自分も経験があるので、それなりの説明ができるのではないかと

考えています。


まずは意味付けについて。


最近良く、これにはどういう意味があるんだろうと考える方が非常に多くなってき

ている気がします。

何故そういうふうに考えるのか、最初意味が分からず何故意味づけするのか理解で

きなかったので、気になるようになったんです。

なんにでも意味を求めて結局堂々巡りになっている方が非常に多く、何故意味づけ

すれば解決できると思うのか自分には経験がなく、なんにでも意味づけしたりしな

いので上手く理解できずにいました。

基本、自分がこの世にいることこそに意味があるわけだから、あとは行動を起こせ

ばよいだけなのに、皆さん意味、意味と呪文のように唱えていて理解できませんで

した。


もう自分が存在していることで意味があるのだからそれに ”意味づけ” しても ”意味

はない” んですが。


気付いて貰えないのがじれったくて、ここに書いてしまいました。^^;

全てがそうだと言っているわけではないんですが、巷、特にテレビなどで話されて

いるのを聞いているとほとんど意味がなく、行動に移すつもりがないだけではない

のかと考えてしまいます。

付き合いの中の方便とも考えられますが、多分先に書いた通りの意味で話されてい

るようです。

こういう考え方が広まっていくのは、あまり良いこととは思えず、今回のようにこ

こで書くことによって誰かに伝われば少しは良い方向に進んでいけるのではないか

と思います。

自分のことをもう少し信じても良いのではないでしょうか。

皆が不安になっているときは特に注意する必要があると思います。


次に自分探しについて。


これはもう、自分たちの世代の話ではなく、間違いなく団塊ジュニア世代の考え方

ですね。

自分たち世代には、こういう考え方ってなかったので。

ちょうど二十歳くらいの頃でしたが、たまたまバイト先の先輩が自分のところに来

て、”自分探しってなんだ!?”と聞いてきたので何を言っているのか理解できず、”自

分はここにいるけど” と答えたんですが、先輩も( ”そうだろ?で、自分探しってな

んだ!??”) と畳み掛けてきたので、(”さあ”)と答えるしか無く、結局なんのこ

とだかその時は分からずじまいでした。

その後自分なりに考えてみたり、知り合いの年下の子に聞いたりして、大体見えて

きました。


そう、これはただの建前なんだと。


どうも団塊ジュニア世代から下の世代では、学生時代には表向きは良い子なんです

が、いじめなどは闇に潜って回すような感じになっていたようです。

そこで自分の存在を維持するために、建前を置くようになっていったようなんで

す。

それを彼らは社会に出てきてからも同じように振る舞っていたのが、例の ”自分探

し” ですね。

このあとに書く自分へのご褒美も同じ理由です。

当時、バイト先のお客さんにその世代の人がいて何故建前を立てるのか聞き出して

説得したことがあるんですが、自分の経験を伝えてもっと自分のしたいことを素直

に話してもいいんだよと皆んなで話していたことを覚えています。

やりたい事はやりたいと嫌われてもハッキリと言えば良くて、自分を守ることにイ

ッパイだったのかもしれませんが、それを押し通せば周りが変わっていくんです

が、建前を置かれてしまうと距離感ができてしまい、話が本音で話せなくなるよう

な感じになるんです。

話がズレていくといえばよいでしょうか。

テレビでその団塊ジュニア世代がそういう言葉の使い方をしているのを当たり前の

ように話していて、その姿を見たときは正直違和感がありました。

馴染めなかったですね。

ただ当時の社会では、その言葉を煽るような雰囲気になっていて、もうどうにも押

さえられないような状態になっていたことを思い出します。

それを煽っていたのが彼らのお父さん世代なのが皮肉ですが。


なので、”自分探し” なるものは存在せず、ただの建前であって煽られて言葉の独り

歩きで広まった話で、幾ら自分を探したところで意味はないということに気付いて

もらえれば、ここに書いたことに意味はあるのかなと思います。




最後は自分へのご褒美について。


自分へのご褒美も上に同じで建前をたてなくても良くて、素直に自分の欲しいもの

を言えば良いだけなんですよね。

高いものを買うというのが憚られる世の中ですから、その気持も理解はできるんで

すが、もっと正直に言ってもよいのに、自分を守ろうとする感覚が根付いているの

か、感覚的に建前を話し始めます。

自分の経験では、最初は周りの人達に色々な事を言われますが、それでも欲しいも

のは欲しいのでそれを貫き通してそのモノを購入すると、今度は周りの人たちが寄

って来てどんなバイクかあ~でもない、こ~でもないと、ジロジロ見に来ました。

それで良くて、そこで初めて皆の仲間入りを果たす感じでした。


この件も、”自分へのご褒美”なるものは存在せず、欲しいものは欲しいといえば良

いだけですから、素直に欲しいと言いましょうね。


ただ今はもう、言葉の独り歩きで社会ができあがってしまっている状態なので、こ

こでいくら言っても信じてもらうことは難しいかもしれません。

ちょっと投げやりな感じになってしまっていますが、どういうふうに伝えていけば

理解してもらえるのか、正直悩んでます。

皆さんにも一度考えて頂ければ、そして自分の周りの方へ対処していってもらえれ

ば有り難いです。

こういう時代だからこそ、行き着く所までいっていて皆が疑問に思っているからこ

そ、伝えることができるかもしれないと自分は考えています。


まとめ


意味付けについては、自分を大切にするようにすればそう悩む必要はないと考えま

す。

他のものに意味付けしても意味がないことを理解してもらえるようにすれば、皆が

そういう方向に進んでいくことは早々ないと思います。

意味付けしても堂々巡りになるだけ、ということを理解して頂ければ幸いです。


自分探しについては、もう言葉が独り歩きしてしまっていて、あたかもそれが事実

のようになっている社会では、皆に気付いてもらうのがかなり難しくなっていると

思います。

もうそれで儲け話みたいに使っている方が沢山いられる状況では、理解してもらう

のも大変でしょうね。

ただこれを読んでくださっている方に理解してもらえたら、有り難いです。


自分へのご褒美については、上に同じく気付いてもらうのが難しいでしょうね。

もう皆んなその言葉を当たり前のように使っていますから、ほとんど文化になって

しまっていますから。

上と同じく、読んでくださっている皆さんに理解して頂ければ幸いです。


余談


もう何本も書いてきたんですが、相変わらず自分が頭の中で考えていることを文書

にしていくのが難しく、皆さんにうまく説明ができなくて、申し訳なく思います。

今回の話は、高校生の時から感じていたこと、気になっていたことを書くことにな

りました。

世間では”自分探し”だとか”自分へのご褒美”など、もう当たり前のように使われて

いて、何を言ったところで聞いてもらえないような状態にまでなっているようで

す。

ここに書いても余り意味はないかもしれないですが、少しでもその時に何があった

のかを理解してもらえれば、書いた甲斐はあるのかなと思っています。


今回はこの辺で終わります。

最後まで読んで頂き、有り難うございました。

shin🌈

0 件のコメント:

最近の投稿

blueskyとblog用に城跡公園と総合体育館へ撮影に行く -We go to the castle ruins park and the general gymnasium for shooting, for Bluesky and the blog.-

  城跡公園と総合体育館近くでの撮影 今回は、いつものように城跡公園での撮影の様子と、初めて総合体育館に撮影に行 った様子を書いていきます。 総合体育館辺りは以前、大阪で地震があった時のほぼ震源地の直ぐ側にあるところ なんですが、古い建物の集中しているところは酷かったんですが、他...

よく閲覧される投稿